中式先攻法ブログ

小説や映画、ドラマなどの感想をダラダラ書いてます。備忘録も兼ねて。

「GODZILLA 怪獣惑星」

突如出現した怪獣たちと彼らを倒すパワーを持つゴジラを相手に戦ってきた人類だが、次第に力を失い地球を脱出しようとする。人工知能によって選別された者たちが恒星間移民船・アラトラム号でくじら座タウ星eにたどり着いたが、そこは人類が生存するには過酷な環境であることが判明する。アラトラム号に乗る青年ハルオは移住の道が閉ざされたのを機に、地球に帰還して両親を殺した敵でもあるゴジラを倒そうと決意。長距離亜空間航行で2万年の歳月が流れた地球に戻るが、地上の生態系の頂点にはゴジラが位置していた。

シネマトゥデイ

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68点

正直ゴジラってあんまり思い入れが無いんですよねw

世代的にはビオランテ戦とか印象にはあるんですが・・・なのでリメイクのたびに「こんなのゴジラじゃない!」とか色々言われたりしますが、そういったこだわりは一切ないんです。そんな人間の感想と思っていただけると幸いです。

 

以下ネタバレあり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結構意見割れてますよね、この映画に関しては。どちらかというと否の意見が多いイメージはありますが。

 

ゴジラに侵略され地球を追われた人類と、人型の異星人。地球を出るときに子供だったハルオは、目の前でゴジラに父母の乗ったバスが破壊されるところを見てしまう。

それから二十数年。すでに資源の尽きかけた宇宙船内には何の希望もなくなっていた。そんな中、ハルオはゴジラへの怒りを貯め、過去の映像からゴジラを倒す戦略を練っていた。

ハルオの戦略を支えるメトフィエスの策略もあり、宇宙船は地球へと航路を引き返す。そして地球についた時、亜空間航法の影響もあり地球では19000年の時間が過ぎていた。そしてそこには未だ支配者として君臨するゴジラがいた。

 

主要なあらすじはこういった形。

今回はゴジラを悪役としながらもハードSFの形をとっており、細かいガジェットや乗り物はどこかで見たような感じもするがなかなか格好がいい。だがそこまで珍しいSF的な仕掛けがあるかというと、使い古されたSFをモチーフとした複合体のような印象。

 

主人公のハルオはゴジラへの怒り、そして地球から逃亡した人類への強い怒りを原動力として動く、ある意味ステレオタイプなキャラクター。

ハルオに共感できないという意見も良く目にするが、個人的には目の前で父母を殺され、戦いたくても子供でゴジラと戦えず、誇りの無い宇宙船での放浪の旅をしていた事を考えると、キャラクターとして不自然は感じなかった

むしろ気になったのは、この世界の中で異質な存在であるはずのハルオに対してのシンパシーが、他の兵士に直ぐに生まれていること。ハルオの演説も地球を奪われた過去を体験しているものであれば感じるところはあるだろうが、ハルオより若い世代の兵士に響くような内容ではなかった気がする。

 

ゴジラに対する細かい考察に関しては面白かったし、それに対してくみ上げた作戦も不自然な部分はあるものの良く出来ていたと思う。核弾頭で倒せなかったゴジラを少人数で倒すという前提を考えると、こういったご都合主義のロジックに穴のある作戦になるのはある程度仕方なかったのだろう。

 

まぁここまで書いておいて言うのも何だが・・・これってゴジラでやる必要があったのだろうかw

核爆弾や戦争をモチーフにした過去のゴジラと違い、今回のゴジラは地球や星の意志のような存在として描かれ、おごった人類への警告として存在している。全く存在意義が違うのである。であればゴジラでやる必要があったのだろうか。まぁゴジラで無ければ劇場公開も出来ないだろうし、言うだけ野暮なのかも知れないが。

 

他にはヒロインが必要という意向のためだけに存在しているような少女も気になった。ハルオとの関係や交流も一切描かれず、それなのにヒロインポジションで描かれる。全体的に人間描写も薄っぺらく、キャラクターにも一貫性を感じない内容ではあったが、この少女の取ってつけた感は酷すぎたのではないか。

 

戦闘シーンのアニメの出来はいいし、3DCGの出来も良い。でも面白いかといわれると・・・なんとも言えない。

既存のSF映画と戦争映画のあるあるをゴジラに無理やり組み合わせたようなオリジナリティを感じない内容だったとも取れる。

 

もちろん3部作の1部なので気持ちよく終わらないことは分かっていたし、そもそも虚淵玄が脚本と考えれば暗いトーンも納得がいく。その辺りを考慮しても期待値は越えられない内容だったかなと思います。