多島斗志之「症例A」
本作のテーマは「心の障害」である。精神科医の榊は、病院の問題児である少女・亜左美を担当するが、前任者の下した診断に疑問を抱きはじめる。彼は臨床心理士の由起と力を合わせ、亜左美の病根をつきとめようとする。きわめてタイムリーな素材に思えるが、7年前から構想を練り、多くの時間を費して文献を読み込んでいたという。その間にさまざまな映画や小説で扱われた多重人格(解離性同一性障害)が、ここでも重要なテーマの1つとなっている。
(Amazon.co.jpより)
32点
失踪中の作家、多島斗志之の代表作。
心理学の世界に深く足を踏み込んだリアリティあふれた作品。
精神科医の榊は、金儲け主義的な精神病院のありかたに嫌気がさし、S病院に赴任する。
そこで受け持ったのは問題児・亜佐美という仮名で入院する少女。
精神診断・治療の難しさ、臨床心理士の立場と関係、解離性同一障害のリアルな姿。
そんな精神科医を取り巻く複雑な状況を描いている。
まず一つ、ミステリとしてはあまりにも成立していない事を警告する。
一番の問題は"ミステリ"というジャンルにあたる部分がほぼない事。
何故このミスにランクインしたのかは全くわからない。
基本路線は精神科医を取り巻く状況のリアルさを浮き彫りにすること。
これは一定以上の評価を受けるべきポイントだとは思う。
分裂病と境界例の診断の難しさ、境界例患者が与える病院の混乱は現場の目線で描かれている。
臨床心理というものに対して精神科医との間に根幹的な軋轢があることなど、知らない情報は盛りだくさん。
そちらに興味がある人にはかなり興味深い出来かと。
しかし、小説としてみた時はかなり酷い出来と言わざるを得ない。
実はこの小説は"精神科医パート"と"博物館の学芸員パート"が存在する。
博物館の学芸員は過去に記された文献から、博物館内に贋作があるのではと疑ってかかる。
そしてその文書を記した五十嵐に会いにS病院に行き、回想録の存在を知る。
この回想録は榊の前任の医者が屋上から身を投げた事にもどうやら関係があるらしい。
医者を引き込んでしまうような虚構と現実の入り混じった回想録・そして境界例という病気がもたらす周囲への"感染"。
こちらはかなりミステリ色の強いパートなのだが、恐ろしいほど尻切れトンボに終わっている。
"納得がいかない"ではなく、"説明が一切ない"終わり方なのだ。
二つの視点で物事が進み、それが終盤で絡み合う小説は良くある。
私もこのミスランキング作とのこともあり、叙述トリックや隠された関係性を気にして読んだが、そのあたりまで到達する前にこのパートの話はいつの間にか消えてしまう。
そんな手法はありなのだろうか?
ちなみに"そんな手法はありなのだろうか?"を戦略的に扱った小説は大好きなのだが、思うがままに筆を走らせ、途中で飽きたかのような作りには感心しない。
いっそ精神科医に話を絞って、境界例での病院への被害、そして"症例A"とは誰の病状を指しているのかという部分に絞っても良かったのではと思う。
すべての精神病を怪物のように扱わない、その代り精神病者の殺人のような非リアリティではなく、実際に精神病者を扱う難しさや診断の難しさを描いている点は興味深い。
境界例は病院の人間関係をかき回し、医者のプライベートも破壊してしまうという治療のむずかしさ。
文学的な解釈を中心とした臨床心理との軋轢。
知らなかった事柄が現場の温度とともに伝わってくる。
一長一短のこの作品。
小説としての完成度は低いこと(文章が稚拙という意味ではないので)を前提に、興味のある人は一読を。