津原泰水「綺譚集」
天使へと解体される少女に、独白する書家の屍に、絵画を写す園に溺れゆく男たちに垣間見える風景への畏怖、至上の美。生者と死者、残酷と無垢、喪失と郷愁、日常と異界が瞬時に入れ替わる。―綺の字は優美なさま、巧みな言葉を指し、譚の字は語られし物を意味する。本書収録の十五篇は、小説技巧を極限まで磨き上げた孤高の職人による、まさに綺譚であり、小説の精髄である。
71点
ミュージシャンでもある作者の音楽的センスに溢れた作品。
とは言っても音楽の話があるわけではない。
全15編の短編の並びがアルバムを聞いているような感覚で入ってくるのだ。
小説技法は旧仮名遣いの話や呼びかけ法など様々だ。
だが世界観は全体的に死の匂いに溢れ、耽美とリアリティが交錯している。
今まで読んだ津原泰水の小説の中では最もホラーに近い。
救いの無い話も多く、グロテスクやエロスがことさら強調されてもいる。
しかし全体としての感想はそれ以上には持ちづらい。
というよりむしろ「個のパワー」が強く、全体としてどうという事が難しいし、的を得た事がかける気がしない。
なので各短編について感想を記載したい。
「天使解体」
普通のトーンで始まる神経症の人の話。
不意に非日常へと展開していくが、そこの瞬間が秀逸。
日常に薄く膜がかかったような、ボンヤリとしたリアリティの中、結末まで加速していく。
ホラー色が強く、平山夢明氏の短編に似た印象。
短編としての出来はいまいちだが全体の導入としては衝撃的。
また最後の一文はなかなかいい。
動物を殺すことで性的興奮を覚える弟が、痴愚で淫靡な姉に祖父殺害を手伝えと頼まれる。
田舎の香りと、微妙なエロスが混ざったお話。
サイレンがキーワードになるが、結末も含め少し分かりづらい。
「夜のジャミラ」
級友にいじめられて自殺した少年の一人語りの話。
途中で結末は見えるが、どこの道筋を通るのか見えなかった。
死の中にいる非現実の子供と、"ジャミラ""シャボン玉ホリデー"などの俗なものとの対比が良かった。
前二編が分かりづらい中、比較的直球で読みやすい作品。
「赤假面傅」
画家・村山槐多の評伝小説として描かれた短編。
美を吸って絵を描く村山を旧仮名使いで描いている。
短編としてはそこそこの出来だが、さすがに読みづらい。
展開も若干急な印象があった。
ちなみに村山槐多はこんな 絵を描いた人物。
「玄い森の底から」
殺された女性書家が腐敗していきながら、師匠と書道にささげた半生を語る話。
早くも二つ目の死者が語る短編。
話の内容はいたってまともだが、恐怖感を削がれたような語り口と、ところどころにノイズのように入る壊れた文章が、死者の口調と認識させる。
この"壊れた文章"が見事で、活字としての怖さを絶妙に引き出している。
不意に訪れる誤植かと思う同じ文字の繰り返しと、かなかなかかかかかと鳴く蜩のバランスも上手い。
「アクアポリス」
海に浮かぶアクアポリスを見に行った日に、友人の少女を死なせてしまった子供たち。
田舎、方言とホラー、そして不条理な展開。
物語としてはシンプルだが、短く読みやすい。
箸休めとしてちょうどいい。
「頚骨」
事故で切断された知り合いの女性の右足を見つけた男性の話。
グロテスクやホラーではなく、物悲しい味わいの残る不思議な話。
著者としてはこちらが本領なのではと思う。
設定や展開も上手く、綺麗にまとまった短編。
「聖戦の記録」
公園で兎を放し飼いにする老人達「兎派」と主人公たち「犬派」との戦い。
筒井風に描かれる不条理とグロとホラーの混在した話。
「天使解体」の印象にも相まって、短編としては第二部のスタートといった印象。
前短編の「頚骨」もラスト的な印象が濃い話だということもある。
これも平山夢明の印象にかなり近い。
平山夢明も筒井風と言われる作品がある事も考えるとこちらの方がより近いか。
登場人物は"ヒロスエリョウコ""ソリマチタカシ"と何故かタレント名。
ちなみに主人公の犬は"イシダイッセイ"。
風貌描写と名前のアンバランスや、ラストの急な不条理感もあって何とも言えない味わいをかもし出している。
個人的には好きな作品。
「黄昏抜歯」
歯の痛みに耐えながら日常を送る主人公に訪れる過去の記憶。
歯の痛みという日常を引き金にした記憶が鍵。
とにかく自分の歯が気になってしまう。
短編としてはいまいちな出来。
前短編がメチャメチャなので、ここは落ち着いた作風のものといった所か。
「約束」
観覧車で出会った男女の不思議な行く末を描いたファンタジー。
乙一のような、ホラーの中にも救いのあるテイスト。
ここでも死者側からの描写が事細かに描かれる。
短いが印象に残る、少し暖かい話。
「安珠の水」
知能が芳しくない"安珠"と水に浮かない息子"有世"の話。
これもかなり短い。
文章は"安珠"の一人語りで、句読点の異常に多い文章が拙い言葉を連想させ"安珠"のキャラクターを引き立たせている。
話は意味不明の部分が多いがそれが狙いなのだろう。
それにしても少し意味不明すぎる。
「アルバトロス」
白い兵隊たちが占領する南国で姉との情事にふける弟の話。
粘っこい文章とこれでもかというほどのエロス。
全体的に停滞した感のある話で、短編としてはいまいちな出来。
「古傷と太陽」
俺の番か。困ったな。から始まる読者へ話しかけるような話。
どうやら朗読用に書き下ろした話らしいが、短編の並び的に絶妙。
急に始まるこちらへの話しかけは物語へグイグイ引きこんでいく。
話自体は短いがシンプルで怖く、面白い。
不思議なファンタジー感もあり、全体の中でもかなりの秀作。
「ドービニィの庭で」
ゴッホの絵を庭園に再現する事に執着する資産家と装飾家の話。
話自体はあまり面白いわけではないが、徐々に壊れていく関係と人格の描き方が上手い。
またその壊れていく過程で、「玄い森の底から」で用いたノイズを不意に挿入する辺り天才的なセンス。
"私はドアを開いた。ドアをドアをドアを開開開開いた。"
全体としても後半に差し掛かり、目も疲れているので一瞬誤植かと思うが、前ふりがあるので狙ってやっているとわかりハッとさせられる。
「隣のマキノさん」
意味不明な隣人"マキノさん"のお話。
狂気とシュール、ユーモアのすれすれを描いたとても短い話。
ラストにこれをもってきた事で読後感が軽くなっている。
ユーモア系に振った話がなかったので、最後に一服といったところ。
作者はユーモアも上手いので、この短編でしか読めなかったのは残念。
全体としては「蘆屋家の崩壊」には劣るものの、秀作の短編も多く含む。
小粒の作品や、飽きる短編もあるが並び方の妙でネガティブなイメージを最小限に抑えている。
津原泰水導入としては「蘆屋家の崩壊」をお勧めするが、こちらもなかなかの出来だ。