中式先攻法ブログ

小説や映画、ドラマなどの感想をダラダラ書いてます。備忘録も兼ねて。

伊藤計劃「虐殺器官」

9・11以降、激化の一途をたどる“テロとの戦い”は、サラエボが手製の核爆弾によって消滅した日を境に転機を迎えた。先進資本主義諸国は個人情報認証による厳格な管理体制を構築、社会からテロを一掃するが、いっぽう後進諸国では内戦や民族虐殺が凄まじい勢いで増加していた。その背後でつねに囁かれる謎の米国人ジョン・ポールの存在。アメリカ情報軍・特殊検索群i分遣隊のクラヴィス・シェパード大尉は、チェコ、インド、アフリカの地に、その影を追うが…。はたしてジョン・ポールの目的とは?そして大量殺戮を引き起こす“虐殺の器官”とは?―小松左京賞最終候補の近未来軍事諜報SF。

(「BOOK」データベースより)

75点


2009年、癌のため早逝した伊藤氏の処女作。
ベストSF2007」国内篇第一位であり、「ゼロ年代SFベスト」国内篇第一位。


デビュー作であるこの「虐殺器官」が刊行される数年前から、癌との闘病生活に苦しんでいたという伊藤氏。

この作品にはそんな彼の状況からくる、死生観やレゾンデートルに関しての描写が溢れているように感じた。

 

まず一番に目が行くのは世界構築の恐ろしいほどの緻密さ。

近未来SFとして描かれた世界は、現在の延長線上にあり、軍事や医療技術など凄まじいリアリティで描写される。

暗殺を公認する米国、個人認証の浸透によるテロ対策、生態バイオ技術による兵器、脳科学の進歩による兵士への感情統制。

そこに新人らしさは微塵も感じない。

 

そして完璧に構築された世界観の中で、その歪みを一人称でドラマティックに描いている。

そこで表現される倫理観や警告にも似た主張は、現在の自分たちに置き換えて考えさせられるものばかりだ。

 

個人情報社会と自由というテーマでは次の長編「ハーモニー」がさらに深く抉っており、ここで描かれるのはより戦争の内部に入り込んだ世界だ。

主人公のシェパードはアメリカ情報軍・特殊検索群i分遣隊に属し、暗殺を主な任務としている。

彼らの出動時には脳にマスキングがかけられ、他人を殺すことへの倫理的配慮、特に子供の兵士を殺すことに対しての倫理が取り除かれる。

そして彼は大尉となるまで数え切れないほどの人を殺しながら、脳死状態の母の生命維持を自身の判断でストップした事に対して強い罪悪感を覚えている。

この主人公は、この綿密に練られた世界でしか成り立たない主人公として、罪の意識や自己とは何かを追い求めて行く。

この世界と主人公(個人)の歪んだ関係性が物語の根幹にある。

 

また世界各国の描写も凄まじくリアリティがあり、緻密に描写される。

プラハの町並みや情勢が不安定になったインドの人々など、実際に目にしたような感覚にさえなっていく。

 

最終的なオチ部分も非常に面白く、作品全体を通しての破壊的な願望が香る作りと上手く整合しているように感じた。

唯一、気になったのはジョン・ポールの動機に関しての薄さ。

そこがもう少しドラマティックに展開すればさらに一歩上の作品になった感もある。

 

いずれにせよ他には類を見ない独自性溢れる凄まじいSF小説な事は間違い無い。

「ハーモニー」とあわせてお勧めしたい一冊である。