乙一「失はれる物語」
目覚めると、私は闇の中にいた。交通事故により全身不随のうえ音も視覚も、五感の全てを奪われていたのだ。残ったのは右腕の皮膚感覚のみ。ピアニストの妻はその腕を鍵盤に見立て、日日の想いを演奏で伝えることを思いつく。それは、永劫の囚人となった私の唯一の救いとなるが…。表題作のほか、「Calling You」「傷」など傑作短篇5作とリリカルな怪作「ボクの賢いパンツくん」、書き下ろし最新作「ウソカノ」の2作を初収録。
91点
装丁がとても綺麗な乙一の短編集。
ライトノベルとして出された作品を多く含むせいか、ホラーの側面より切なさを強く感じる作品集となった。
以下、それぞれの短編の感想。
「Calling You」
友達がいない、したがって携帯電話を持たない、そんな女子高生リョウ。
彼女は頭の中で自分の携帯電話を思い浮かべる事が楽しみになっていた。
そんな頭の中の携帯にある日着信が鳴り響く…。
不思議な設定からから始まるストーリーと、ベタな展開のバランスがとてもいい。
最後全てが明らかになったところでも、"やっぱり"という感情がプラスに働く。
それは青臭い人物描写の上手さや、細かい表現の美しさが際立っており、細かいギミックを必要としていないからであろう。
主人公の成長する姿が素直に眩しい。
痛烈な切なさも、ありがちな展開だからこそ輝く事もある。
「失はれる物語」
妻と幼い子供と暮らす主人公が、ある日交通事故にあう。
目が覚めるとそこは一面の暗闇。
五感を失い、動かせるのは右の人差し指だけ、感覚があるのは右ひじから上だけ。
そんな彼と妻との静かな対話が始まる。
「潜水服は蝶の夢を見る」「ジョニーは戦場へ行った」のような設定の表題作。
上記作品をちょうど足して二で割ったような内容だ。
絶望的な状況から、どう立ち直っていくかを主題に置かずに、妻が主人公の腕を鍵盤にしてピアノを弾くコミュニケーションを根幹に配置するセンスが見事。
重い話なのに何処か透明感を感じさせるのは、筆者の得意とする所である。
そのセンスが存分に活かされ、手垢のついたテーマから新しいエッセンスを引き出す様は見事である。
ちなみに乙一の作品には"指"が重要なモチーフとしてよく出てくるが、指フェチなのだろうか?
「傷」
すぐに乱暴をはたらく小学生の"オレ"は特殊学級にうつされた。
そこに不思議な少年"アサト"が転校してくる。
アサトは人の傷を自分にうつす力がある事に気づき…。
乱暴だけど心優しい主人公と無垢で純粋な"アサト"。
環境に恵まれない悲痛な子供の叫びと、"アサト"の壊れやすいほど純粋な気持ち、そして傷を自分が引き受ける能力。
全てがバランスよく配置され、見事にストーリーに引き込んでいく。
ここではベタな展開が救いとなり、見事に全てを紡ぎあげる。
貧しい人が多く住む地区の描写やアイスクリーム屋のシホとのエピソードも見事。
映画化されているが、それも納得できるほどストーリーに隙が無い。
ただ切ない話が続きすぎて、若干食傷気味になってしまったのも否定できない。
金持ちの伯母が映画撮影を見に、主人公の住む温泉街にやってきた。
自分がデザインした時計を世に出す為、伯母のバックを盗もうとする主人公だが、そこで思わぬハプニングにあってしまう。
ここで小休憩させるようなコメディタッチの話。
泥棒と見知らぬ女性が一枚の壁を隔てて手を握り合い、膠着状態に陥るというとぼけた話が心地よい。
少し心が温かくなるような二人の会話と、先の読めない緊迫感のバランスは見事。
オチもなかなか好感が持てるし、ちょうどいい。
「しあわせは子猫のかたち」
人とのコミュニケーションを嫌う"ぼく"は一人暮らしを始める。
その部屋には前の住人が置いた家具や小物がそのままにされ、仔猫もそのままにされていた。
ある時"ぼく"は前の住人・雪村サキがこの部屋で強盗に殺されたと知る。
そして一人と一匹の部屋に不思議な事が起こり始める…。
かなり感動した。久々に泣いてしまった。
もの凄いベタな話だが、キャラクターと描写の見事さでそれが全てプラスに向かっている。
まず暗く内向的な住人"ぼく"と、明るくチャーミングな霊・サキの組み合わせが面白い。
生者と死者が逆転したかのような設定が物語に不思議な暖かさを与えている。
サキのキャラクターと描写も見事。
"ぼく"の視点でしか描かれないサキの行動は、全て過程が無く結果だけしか見えない。
だがその少ない情報の中で、サキの明るくいたずら好きな姿が浮かび上がってくる。
この過程が非常に素晴らしく、サキの魅力を引き出すと共に、"ぼく"との不思議なコミュニケーションが描かれていく。
大岡越前に勝手にチャンネルを変えたり、CDを落語に変えたり。
怖くない、霊らしく無いと言われれば、手紙に「痛いよう、苦しいよう…」と書き連ね、最後に「わたしもラーメン食べたかったよう」と綴る。
こんなやり取りが微笑ましくもあり、妙に胸を打つ。
仔猫の可愛さも抜群に出ているし、"ぼく"の成長も丁寧に描かれている。
ミステリや後半の仔猫の下りは蛇足だと思うが、それを差し引いてもこの短編集で一番の出来だと思う。
「ゴースト ニューヨークの幻」で昔泣いたし、こういう話には元々弱いから高評価なのだろうが。
「ボクの賢いパンツくん」
ある日、ボクのパンツが喋りだした!
DJでいう"ぶっこみ"のように入れられた作品。
元々は角川のキャンペーン商品で当たる乙一オリジナルデザイントランクスに書かれていたものらしい。
恐ろしくくだらないが、ここまで息が詰まる作品が多かっただけに、頭をリセットできた。
寿司で言うとガリのようなものか。
やけにハキハキしたパンツくんのキャラは嫌いじゃない。
「マリアの指」
姉の友人、鳴海マリアが自殺した。
それから数日後、彼女のことをよく知らない恭介のもとに、猫が咥えてきたものは…。
この作品集の為に書き下ろされた作品。
他の作品はライトノベルからの抜粋が殆どなので、一作だけカラーが全く違う。
長さも他の作品より長く、短編としては読み応えがある。
ただ作品としては一番これが拍子抜けだった。
物語はミステリ色が強く、内包されたテーマも他の作品より深く分かりづらい。
それ自体は問題ないのだが、そのミステリ部分がお粗末なのと、テーマが深いわりに"鳴海マリア"という象徴的な存在の描写がいまいち魅力的では無い事が、作品の質を下げている。
いかにも乙一といった作品ではあるが、いい部分があまり出ていない事も確か。
所々で入る緊張感のこめられた描写や、電車が通る街の雰囲気などは良かっただけに残念。
「ウソカノ」
僕の彼女、安藤夏は実在しない。
高校の同級生についてしまったくだらない嘘に、収拾がつかなくなっていく僕の前に、嘘を見抜いた生徒が現れた。
コメディタッチながら、青春の匂いと友情と成長を軽くエッセンスとして入れた短い作品。
くだらないが読後感としては悪くない。
最後の話としては適度なテーマ性と深さか。
総評としては、何度も書いている通りベタな話が多い。
それは設定であったり、キャラクターであったり、展開であったり。
「世にも奇妙な物語」を見ているような深度なので、それが好みでない人も多いと思う。
個人的にはベタな要素の持つ安心感と、それに合わない緻密な描写や、乙一ならではの視点が組み合わさった、とてもバランスのいい作品集に思えた。
悪いところをあげようと思えばいくつもあるが、そうではない所で読者を実際に惹き付けるパワーを持った作品集だ。
上辺っぽさや、青臭さを感じながらも、その直球っぷりに素直に感動してしまった。