乙一「暗黒童話」
突然の事故で記憶と左眼を失ってしまった女子高生の「私」。臓器移植手術で死者の眼球の提供を受けたのだが、やがてその左眼は様々な映像を脳裏に再生し始める。それは、眼が見てきた風景の「記憶」だった…。私は、その眼球の記憶に導かれて、提供者が生前に住んでいた町をめざして旅に出る。悪夢のような事件が待ちかまえていることも知らずに…。乙一の長編ホラー小説がついに文庫化。
83点
ホラー、ミステリー、恋愛、その他諸々…。
色々な要素が過不足無く取り入れられている。
そしてどれもが違和感を与えることなく成り立っている。
非常によく出来た小説だ。
主人公の"私"は記憶を失っている。
名前は"菜深"というが、記憶を失ったことで以前の自分に違和感を感じている。
物語の一つの核が、自分であるのに自分でない事を悩む主人公の姿である。
これはなかなか深いテーマであるし、非常に面白い。
確かに記憶喪失は小説ではよく扱われるが、人格そのものに変化は無く、ただ記憶だけが無いという描写が殆どだ。
だが"私"はクラスの人気者でピアノが弾けて成績がいい"菜深"との間に別人であるかのような隔たりを感じている。
自分とは何なのか?それは記憶なのか?
主人公の姿からはそんな事を考えさせられる。
そして二つ目の核は臓器移植による変化。
最後の核が"事件"である。
それぞれが独立しても十分見せられる設定なのに、それを違和感無く引き立てあうように取り入れている。
この辺りに短編小説家として天才と称される作者の実力がにじみ出ている。
ミステリーとしても上質で、ラストへの引き込みやトリックも素晴らしい。
ここ最近読んだミステリーの中でも随一かもしれない。
そしてラストの素晴らしさ。
これだけの要素を上手く昇華した上で、乙一らしい見事なエンディングに仕上げている。
間に挟まる「暗黒童話」のパートも素晴らしい。
切なくも恐ろしい童話は、短編で慣らした作者の本領が発揮されている。
ちなみにリアリティを求めている方には向かないかと。
記憶喪失で無くなる記憶の事や、眼球移植という設定が気になってしまうと思うので。
ただ、あくまでもホラーとしての体裁の中では、自分はありな範疇と感じた。
乙一の作品を全て読んだわけではないが、暫定一位の面白さ。
これを大学卒業後すぐに書いたというから、その才能は計り知れない。