津原泰水「蘆屋家の崩壊」
定職を持たない猿渡と小説家の伯爵は豆腐好きが縁で結びついたコンビ。伯爵の取材に運転手として同行する先々でなぜか遭遇する、身の毛もよだつ怪奇現象。飄々としたふたり旅は、小浜で蘆屋道満の末裔たちに、富士市では赤い巨人の噂に、榛名山では謎めいた狛犬に出迎えられ、やがて、日常世界が幻想地獄に変貌する―。鬼才が彩る妖しの幻想怪奇短篇集。
94点
面白い本というのは急に出会うものである。
「最近面白い小説読んでないな…」なんて考えている時など、絶好のタイミング。
しかしこの小説がこれほどまでに面白いとは思わなかった。
主人公は、30過ぎて定職につかない猿渡と、黒の服装から伯爵と呼ばれる怪奇小説家。
豆腐好きで意気投合した二人が出会う怪奇や、猿綿の学生時代の怪奇などが短編で収録されている。
怪奇小説というジャンルに入っている本作品だが、懐はかなり深い。
物語に出てくる様々なグルメの描写に涎を垂らしていると、いつの間にか猿渡が怪奇の世界に足を踏み入れていく。
それを現実へと引き戻しながら解決していくのが伯爵といった位置づけ。
それぞれの料理(主に豆腐だが)の描写や、二人のコメディタッチの描き方。
他の登場人物に関しても絶妙のキャラクターが多く魅力的。
怪奇なしでも十分楽しめるつくりになっている。
そしてその上にのる怪奇がまた味わい深い。
内容は異形の恐怖や人の恐怖などもあれば、ファンタジーに近いものもあり様々だ。
だがどれも妙なリアリティを帯びている。
全体としては怖さが引き立っているかというとそうではない。
グロテスクな描写もないし、シリアルキラーも出てこない。
猿渡と伯爵の軽快な滑り出しから、違和感無く上手に不思議な世界へ導いているので、妙な暖かさが全体に残る。
その分、一部の恐怖や悲哀が引き立てられている。
そのバランス感覚が絶妙に上手い。
以下、それぞれの収録話の感想を書きたい。
「反曲隧道」
猿渡と伯爵の出会いを描いた、車に関してのシンプルなホラー。
たった6ページでこれだけだと物足りないが導入としてはベスト。
句読点を極端に少なくしており、息つく暇も無くグイグイと引き込ませる。
短編が進むにつれ句読点の量も正常になるが、序盤のこの演出で小説に引き込まれてしまった。
また、車も料理と同じく、この短編全体に花を添えている。
そういった意味でも最初の作品としては絶妙。
「蘆屋家の崩壊」
表題作。
タイトルはもちろんエドガー・アラン・ポーの「アッシャー家の崩壊」を捩っている。
作品の方向性は「アッシャー家の崩壊」とは全く違うのだが、その辺のセンスも上手い。
旅先で猿渡の学生時代の訳あり女性を、気まぐれから訪ねる二人。
そこは彼女と似た顔立ちの人々、蘆屋道満所縁のその地に祀られる稲荷があった。
学生時代、執拗に狐憑きを怖ていた彼女を巻き込んで怪奇の幕が開いていく。
これは冒険的な要素が強い作品。
民俗学やコメディもあり、そして旨そうな豆腐も登場する。
ラストのもって行き方を含めて表題作に相応しい、この短編を象徴するような傑作。
「猫背の女」
ある女にコンサートの席を譲ったことから始まる、猿渡が体験した恐怖の話。
本作では唯一伯爵が登場しない。それも短編全体のバランスを良くしている。
物語自体は比較的ありがちな話だが、女のディテールが絶妙でそれを感じさせない。
面白さで言うと短編の中でもかなり上位の作品と思う。
かちかち山を"男性""女性"に見立てた冒頭の入り方も効いている。
「カルキノス」
蟹のお話。ひたすら蟹づくし。
味覚はノスタルジーという猿渡と共に、思い出の蟹を求めて静岡に行く伯爵。
そこでは奇妙な蟹を扱う網本がおり、その奥さんは謎の巨人に悩まされていた。
傍観者でいる猿渡の立ち居地が上手い。
そしてミステリーの方向に行くか、ホラーにいくかふらふらとするあたりが見事。
相変わらずこの作品もラストのつけ方が上手く、小ばかにされたような、それでいてしっとりと怖いイメージを残す。
蟹は美味しそう。
「ケルベロス」
カルキノスで出会った女優に起こる不幸を調べに、彼女の故郷に向かう二人。
そこには彼女の双子の妹と悲しい伝承が残っていた。
この話が全体の風味をピリッと締めている。
西洋の幻獣と日本伝承を絡めた伯爵側のストーリーと、猿渡と妹の交流が絡み合う。
切ない余韻を感じさせるあたり、著者の懐の深さを感じる。
すき焼き、こんにゃくは群馬に行ったら食べてみたい。
特にこんにゃくの刺身。
「埋葬虫」
大学の友人に偶然会う猿渡。
彼からカメラを借りる代わりに、病床にいる後輩の為、写真を撮ってきてほしいと頼まれる。
短編の中では最もホラーなお話。
これをケルベロスの後に入れるあたりがにくい。
極彩色の虫の美しさとグロテスクさが際立ち、ホラーなストーリーに一本筋を通している。
またラストの伯爵による見解が伏線を上手く回収しており、内容にぞっとさせられる。
前半の銀座のくだりで煉瓦亭やナイルレストランが登場し食欲が出るが、後半には完全に消えていた。
前後の流れもあり、ホラー好きにはたまらない一作となっている。
「水牛群」
就職した職場の軋轢で精神を病んだ猿渡。
拒食、不眠に悩む彼を伯爵はあるホテルへ招待する。
精神の悩みを見事に描き、そこから郷愁漂う幻想の世界へといざなう。
猿渡の実は繊細な内面と郷愁を、怪奇でつなぐあたりはさすが。
幻想的な世界観はラストに相応しい。
猿渡と伯爵の関係に変化を持たせたところからスタートさせるのも上手い。
という訳で最長のレビューとなってしまった。
それほど引き込まれたし面白かった。
描写の繊細さ。プロットの絶妙さ。文章の無駄のなさ。様々な要素のバランス。
全てが完璧に整えられている。
是非他の作品も読んでみたいと思わされる短編集だった。